阿佐ヶ谷chillout

何もないから寒い

マシーナリーとも子を見て驚いたこと

を、ランキング形式で発表していきます。
(マシーナリーとも子歴で言うと、直接の面識はないものの友達の友達って距離で突然Vtuberになったやつがいたので、一話からずっと追ってる程度です)



第3位:秘密のトワレMASTERとジュエル復帰しまくるシーン

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池袋晶葉ちゃんをできる限り編成してプレイするe-sportsレギュレーションの提案をしていた第6話。
「できるだけ難しい曲がいいよね」として秘密のトワレMASTERを選曲し、プレイ中にライフが尽きる。そしてジュエルを使って即復帰する。


マジで?


第7回総選挙が始まる頃にデレステを始めて紆余曲折ののち”P”となった僕にとってこのシーンは衝撃的だった。
凡百のソシャゲに違わず、ジュエルはガシャを引くための貴重なゲーム内通貨である。担当の限定SSRが来た瞬間に、それまでの節制が問われる重要な数値、実質お金だ。
選曲画面では一応のクリアマークがついているものの、画面出力の関係でラグが発生していたか、音が二重になってプレイしにくかったか、そういったプレイを阻害する外的要因があったのかもと推測することはできる。
だがこの感情の正体はなんだろうか。


「この世にはエリクサーを使える人間と使えない人間がいる」という言説がある。webライターpatoさんの名記事を引用したい。
blog.tinect.jp

僕はこの記事に強い感銘を受けた。どちらかと言ったら間違いなく僕はエリクサーを使えない側の人間だ。
僕はFF9を3周ほど(実機で初見プレイ・PSPで思い出しプレイ・攻略本見ながら武器集め)遊んでいるのだが、DISC1ラストのベアトリクス戦でさえ、初見でエリクサーを使うことをためらって一度直前のセーブポイントまでロードし直したことがある。
そこで言えばマシーナリーとも子は間違いなく、エリクサーを使うことのできる人間なのだろうと思う(ロボだけど)。
e-sportsと言えば難しい譜面でないといけないし、完走しなければ動画が成立しない。目的がはっきりしているからこそジュエルを躊躇なく使うことができる。
48時間でロールアウトしたVtuberモデルも、投票権を買いすぎて貯金がなくなったのも、決断を下せるからこそのエピソードだと言えるだろう。
そしてエリクサーの使えない僕は当該のシーンを見るたびに、心臓が締め付けられるような気持ちになる。



第2位:第12話・総集編における仮面ライダー龍騎の再現度の高いパロディ

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トルーテンイルガーシカの習性を利用して時間軸のループを突破するこの第12話は、入りから何から仮面ライダー龍騎28話「タイムベント」のパロディだ。

龍騎本編の「金色の羽根はとにかく後ろを殴れ」に対する「トルーテンイルガーシカは軽い音で死ぬ」の散文詩的なエッセンス、それをマシーナリースープでおなじみの炊飯器やタミヤのロボに貼ることでマシーナリーとも子の日常感をうまく出していること、ループを脱出した瞬間に本編と同じように流れるきただにひろし「果てなき希望」
何より龍騎本編のセリフに揃えた「池袋晶葉ちゃんのかわいさが2倍になった」のセリフ。時間を戻しても今回の総選挙の結果は変えられないが、今までの活動を振り返ることで、池袋晶葉ちゃんへの想いが増したという、原作同様の強い決意を持った言葉が、最高にキマっている。
間違いなく現在までのマシーナリーとも子史上、最高の回である。

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普段どうやってシナリオを組み立てているのかはわからないが、この動画が総選挙の結果発表直後の完璧なタイミングで投稿されたのは、実は奇跡に近いんじゃないかと思っている。
総選挙結果の後で龍騎のパロディをしようということまで決めていたとしても、それまでの話に出ていた対話役としてのネギトロや、脱出するためのキーとしてのトルーテンイルガーシカの存在はアドリブに近かったのではないか?
様々な要因が噛み合った結果生まれたこの12話の完成度たるや。これを語らずして何がマシーナリーとも子か。


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…という感情を誰かと共有したかったのだが、「マシーナリーとも子を全話見ていること」、「仮面ライダー龍騎を全話見ていて思い入れがあること」の二つの条件をクリアする知り合いが周囲にいなかったのでずっとやきもきしていた。今回こういった形でブログで発散できて何よりだ。
マシーナリーとも子はともかく仮面ライダー龍騎を見ろ。Vtuberじゃないんだよ。ドラゴンボール・ワンピース・仮面ライダー龍騎だぞ。ライダーたちの儚き願いが交差する一瞬の輝きをその目に焼き付けろっつってんの。今はアマゾンプライムで全部見られるからいい時代になったよな。戦闘CGとか結構しょぼいし出て来るやつみんな性格悪いけどなんで戦わなきゃいけないのかに注目してシナリオを追っていくといいんだぜ。こんなブログ読んでないで今すぐ絶対見ろよな。


第1位:ラムレザルを紹介していたこと

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ギルティギアのラムレザルを紹介していた第15話。この回は僕にとって非常に違和感のある…ひっかかるところがあった回だった。
正直に言おう。
池袋晶葉ちゃんよりもラムレザル=ヴァレンタインの方が知名度が果てしなく上だと思っていたからだ。
そしてそれは、ギルティギアの女性キャラについて知らないとかお前、夏冬で薄い本買うときにどうするつもりだ?」という考えが根底にあったからだ。



遠い昔 はるかかなたの銀河で…肉感系のエロを描く人が皆ギルティギアのキャラを描いていた時代…。
その時代、格闘ゲームのエロは「手軽」であった。ギャルゲーやエロゲーはテキストを読み進めなければキャラクターの魅力を理解することができない。知らないなりに一枚絵を描いて評価されるのは清純派の絵描きだけであった。
格闘ゲームは性質上、常に全身絵が目に入るためプロモーションや小物を描くのに困ることがない。やられボイスや倒れた絵などにすぐにアクセスできて資料としても質が高い。何よりも対戦相手にボコられる=ひどいことをしてもいいという原理原則がある。ゆえにスケベ絵を描くハードルが特別低かったと言って過言はないだろう。
そして情報の発信地がゲームセンターという場所、1クレジットを入れ合うステージだったことも関係していると思う。並べられたモニター上の見た目で惹きつけなければならないが故に異様な魅力を放つキャラクターが多く、目を引き印象に残る割に、ゲーセンでプレイしている程度ではストーリーの深堀りもできないため、ユーザー全員の情報深度が「よくわからんけどエロいからいいか」で共通していたことも確実に影響しているだろう。
KOFストリートファイターが落ち目だった頃、ギルティギアが二次元エロの一大発祥地だった時代が確かに存在した。ブレずにヴァンパイアシリーズのエロを描き続ける硬派なオタクと、ナコルルを描き続ける狂ったオタクもいたが、肉感にこだわるタイプの絵描きは自分のメインジャンルの本とは別にページ埋め用の一枚絵や折本でディズィーミリアジャムブリジットを描いていた。私事ではあるがメイの絵が少ないことに腹を立てていたこともあった。最高だろメイはよ。



………とにかくそういう時代があった。
あったのはいい。だが過去の考えに囚われたまま生きるのはヤバい。
ツイのメンヘラオタクはこぞって「2011年のツイッターに戻りたい」と言うが、僕の根底にあるのも同じヤバさだったと言っていい。時代は変わった。確かに僕もゲーセンにはほとんど行かなくなったし薄い本も買わなくなった…いや逆にアイマスのオンリーに行くようにはなったけど。
コンシューマーのいちソフト、それも格ゲーという(ニッチになってしまった)ジャンルのキャラクターであれば、こういった形で紹介することもある、いやしないといけないのかもしれない。ラムレザル=ヴァレンタインが褐色金髪素直クールギザ歯生足であることはもはや、基底世界を構築する全オタクの共通認識ではないのだ。
そんなことを考えながら動画を見ていたら久しぶりに格ゲーがやりたくなってきたものの、PS4を持ってないのでとりあえずSwitchのブレイブルークロスタッグバトルの体験版をプレイしたけど、複雑なシステムとパッドでのプレイに違和感がすごくて普通に諦めてしまった。取り残されているのは自分自身だった。こうしてオタクは終わっていくのか。



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ちなみにバーザム時代のGジェネのバーザム動画が関係しているのか、マシーナリーとも子動画は関連動画にスパロボの戦闘集が出ることがすごく多いんだけど、ガンダムシリーズならまあわかるかなと思って見てみたら最初の作品に一個も見覚えがなくて怖くて泣いてしまった。主人公機っぽいやつがどれなのかすら全然わからなくて誰一人見覚えないままZZガンダムになった。
主人公機とか敵でも見た目がかっこいいやつや作中で活躍したやつは、時間差でゲーセンのEXVSに来ることが多かったからわからないなりにそこから知ることもできたんだけど、今はもうゲーセンに行かないから一個もわからない。クロスボーンは読んでるけどアニメは00の途中までしか見てないし。取り残されているのは自分自身だった。こうしてオタクは終わっていくのだ。




以上、「マシーナリーとも子と終わっていくオタク」でした。ハンドスピナーでこの負の連鎖を断ち切りたい。チャオ。